Yumi talks.
「福沢祐巳かく語りき。」
ごきげんよう、私の名前は福沢祐巳です。初めまして。 リリアン女子大学文学部の二年生で、年齢は満二十歳。成績は中の中。所属サークルは『独自哲学研究会』です。 『独自哲学研究会』がどんなサークルかと言いますと、要するに『独自の哲学』を論じ合うサークルです。体験入部の時に聞いた先輩の独自哲学に胸を打たれ、高い士気で入部しました。 その先輩の独自哲学はというと、『靴下を右から履かない人間は成功しない』というもので、その独自性から今でもイマイチ理解できていないのですが、先輩の気迫に押され、私は「なんかすごい!とてもすごい!」と感銘を受け、以後必ず靴下は右から履くようになりました。勿論履く時には野心を籠めて叫びます。 「福沢祐巳、大器なり!!」 毎朝それを続けていたら、隣の部屋の祐麒が私とあまり目を合わせてくれなくなりました。 今頃思春期? 弟よ。
さて、リリアン女子大学にはあまたのサークルがあります。 リリアン女子大学(以後リリ女)のサークル連は、女子大というその特性から、女子のみのホモソーシャルな社会が築かれておりますが、それでもヒエラルキーの三角形構造からは免れることはありません。強者よりも弱者が多いのが生物界なのです。 そして我が『独自哲学研究会』も、リリ女のサークル社会では弱者の部類に属します。幽霊含めた総員が十名未満の小さな部活なのです。 しかしそれでも高校の後輩の二条乃梨子ちゃんの所属する『宗教美術研究会』よりマシだと主張します。あそこは五人ぐらいの部員ほぼ全員が幽霊で、乃梨子ちゃん一人が活動をしているという過疎っぷりなのです。 そこまで明朗快活な過疎っぷりを見せているというのに、その宗教美術研究会が潰れないのは、リリ女がミッション系大学であり、大学が教育方針として宗教の教育に力を入れてるから、という噂を聞きました。彼女たちは学校に保護されているのです! 特権階級! しかしそれでもどうしてか、どのサークルも『宗教美術研究会』を羨ましいと言いません。世の中には不思議なこともありますね。もしかしたら『宗教美術研究会』の部室が階段下倉庫であることに関係があるのかもしれません。 そして不思議と言えば『宗教美術研究会』の活動。その全貌は謎に包まれています。活動しているのが乃梨子ちゃん一人なので、その機密性は非常に高いわけです。ていうか、活動しているのが一人なので誰も知らないわけです。はい、今度当人に聞いてみることにします。 まあそんなこんなで、リリ女には小さなサークルがたくさんあるわけです。 しかし、我々独自哲学研究会はいつまでも弱者に甘んじているつもりはありません。春になったら、部員全員一致団結で新入部員勧誘へと勤しみ、中堅へと伸し上がり、六本木のバーでグラスを打ち合わせたいと思います。 その為には素晴らしい独自哲学を練らねば! 私はその決意を胸いっぱいに貯めて、学食でおばちゃんに味噌汁と納豆とご飯を注文しました。「哲学を練る」と「納豆を練る」を掛けた訳ではありません。決意や夢や希望は胸いっぱいに貯めているのですが、お金は全く貯まっていないのです。 ああ、昨日予想外の出費をしたのがいけなかったのだ、と私は三十円の小粒納豆を見つめて、目に涙を貯めました。
昨日の話です。 骨董屋で由乃さんとウインドウショッピングをしていたら、とても素敵なお面を見つけてしまいました。 それは和紙でできた狸のお面でした。狐のお面はたくさんあるのですが、狸の面は非常に珍しいのです。 見れば見るほど魅力的でした。 「おばあさん、これをください」と私は思わず言いました。 奥の座敷に座っていたおばあさんは、目をくわっと見開いて手を出して言いました。 「三千万円!!!」 私と由乃さんは同時に両手を挙げて驚きました。 「さ、さ、さんぜんまんえーーーーん!?」 何という大金でしょうか。 一介の女子大生にそんな大金、学生ローンを組んだとしても払えるわけがありません。私は膝を折りました。大器には程遠い自分自身に涙しました。 そしてその十分後にこの『三千万円』というのは民俗学的暗号で『三千円』という意味なのだということを知りました。 世の中にはまだまだ福沢祐巳の知らないたくさんの不思議がありますね。
納豆をぐにぐにとかき混ぜて、「百回かき混ぜたら黄金の味…!」と私が呟いていると、トレーを持った女の子が私の席の前に立ちました。 見るとそこには私の愛娘――もとい、愛妹である松平瞳子ちゃんがいました。 「お姉さま、ここよろしいですか?」 彼女は苦笑いのような微笑を私に向けて言いました。 私はよく知っているのですが、瞳子の苦笑いは心からの笑顔の時です。彼女は少し不器用なので、本当の気持ちを表現する時はいつも複雑な表情を浮かべるのです。なので満面の笑みの時は気をつけなければいけません。間違いなく何か企んでいます。私は高校時代に何度も彼女の満面の笑顔にハンカチを噛ませられました。 「どうぞどうぞ」 私は納豆をかき混ぜながら頷きました。可愛い妹と一緒にご飯だなんて、とんだラッキーランチタイムです。 瞳子が私の昼食のメニューを見て、少しだけ目を顰めました。 「お姉さま、もしかして、昼食それだけですか?」 「うん、昨日ちょっと出費があってね」 瞳子の皿を見れば、そこには黄色に輝くオムライスがありました。 そのイエロー眩しいオムは、福沢祐巳の大好物です。 「……あげませんよ」 私の目線に気づいて、瞳子が皿を遠ざけるような仕草をしました。 「いいじゃーん、ひとくちくらい」 「子供みたいですよ、お姉さま」 「瞳子だからいいの。だって妹だもの、えへへへ」 そう言うと瞳子はさっと頬を赤くしました。こういうところは変わらないのです。思わず「テラモユス!」と頬ずりしたくなりましたが、食事中なので自重です。 「し、仕方ありませんね、ひとくちだけですからね!」 瞳子ちゃんはそう言って、ケチャップをかけようとしました。 「待った!!!!」 私は背後に雷鳴を輝かせ、歌舞伎のような仕草で瞳子に待ったをかけました。 演劇部での癖なのか、綺麗なストップモーションで彼女は停止をします。 「……」 思わず無言で見つめあう私たち。 瞳子が目を白黒させて沈黙を破ります。 「な、何ですか?」 「瞳子ちゃん、今、ケチャップをどうかけようとした?」 「え? えっと、ジグザグ~って」 「それじゃ駄目だよ! オムには名前を書かなくちゃ!」 私は断固たる信念を籠めて、瞳子とオムを交互に指差しました。 しかし、彼女の反応は冷ややかです。 「…お姉さま、子供みたいです」 「福沢の家訓です。『オムには名前を。地には平和を』」 「意味が解りません。それに私は松平ですから」 「でも私の妹でしょー。いいからいいから、お姉さまが書いてあげます」 私は瞳子の手から、ケチャップを強引に奪い取りました。 瞳子は文句を言っていましたが、なんとなくまんざらでもないようなので、私は腕をまくりました。 ケチャップ書道に関しては、私はきっと瞳子より経験豊富でしょう。絵まで描いてしまううちのお母さんには劣りますが、私だって名前くらいなら学食のケチャップでも美しく書ける自信があります。 ここはひとつお姉さまらしく、格好良いところを見せて見せますとも。 私は目で黄色いオムに赤い線のイメージを浮かべます。 とうこ、と三文字。 行ける―――! 三文字くらいならバランスよく行ける! お姉さまの雄姿を目に焼き付けなさい! 私はぷりぷりとケチャップを発射しました。 しかし。 「ああっ!」 勢いあまって、『とうこ』の『こ』が繋がってしまいました。 何たる醜態。 『とうZ』という何だかロボットのような名前になってしまった我が妹は溜息を吐いて、オムを食し始めました。うう、不甲斐ない姉でごめんなさい。 「お姉さま」 私が項垂れていると、瞳子が私を呼びます。顔を上げると、瞳子がひとくちぶんのオムを載せたスプーンを差し出しているところでした。 「ひとくちです。約束ですから」 どうしてか怒ったようにいいます。しかしそれは福沢祐巳は知っています。これは『ツンデレ』と言うのです。 あああ!可愛いよう! 私はありがたくその一口をあーんさせていただきました。 別の意味でも、本来の意味でも、そのオムは大変美味でした。
「なぁになぁに、スウィートなことやってるじゃん」 するとそこに、とてもスマートな身のこなしの人がトレーを持ってやってきました。 大学四年生の先輩、佐藤聖さまです。聖さまは飲食業のアルバイトをしている所為か、トレーの持った姿がとても様になっています。学食のトレーなのに、聖さまが持つとちょっといいレストランのようです。 無駄な魅力に溢れるこの先輩は私たちの許可を取る前に、瞳子の隣にトレーを置きました。そして瞳子のオムを見て、片眉を上げます。 「とうゼット?」 「ドリルの力で戦う正義のロボットです」 「お姉さま!」 私が小粋なジョークを言うと、妹は威嚇した猫みたいに怒りました。 聖さまは「ハッハハハ」と軽やかに笑いました。この方は時々、何だか底が抜けたバケツみたいに笑います。 聖さまの皿を見てみると、タラコスパゲッティでした。聖さまは魚卵系の食べ物が大好きなのです。 聖さまはそれを一口食べますと、瞳子の方を向いて言いました。 「いいな、私にもひとくちちょーだいよ」 瞳子は驚いて「えっ」と言いましたが、こんなことで大先輩の白薔薇さまに逆らうようなタイプではないので、スプーンで素直に一口分をすくおうとします。 「待った!!!!!!!」 先にも増した勢いで、私はそれに待ったをかけました。 瞳子が目を丸くし、聖さまがにやりと笑いました。 「どうしたのかな? 祐巳ちゃん」 「ただちにその行為を中止し、個々で食事を再開することを要求します!」 「んん、どうしてかな?」 「『あーん』行為はとても神聖なのです。むやみにするとバチが当たりますよ」 「そんなバチなど怖くて女たらしが務まるものか!!!」 聖さまはくわばと目を見開いて堂々宣言しました。 そして瞳子に詰め寄ります。 「さあ、瞳子ちゃん。そのスウィートな一口を佐藤聖にわけておくれ。無理にとは言わないよ。でも私が山百合会の大先輩も大先輩だということを忘れないでネ」 「異議アリ! それは礼儀正しい瞳子には脅迫です!」 瞳子は二人の先輩に囲まれておろおろとしています。 私は手にしていた箸とお茶碗を構えました。 「そんなに『あーん』が欲しいなら…」 私はずばーんと百回かきまわした納豆を載せたほかほかご飯をみょーんと糸を引かせつつ、聖さまにひとくち分突きつけました。 「私の『あーん』を受け取ってください!!」 聖さまはそれを突きつけられて、思い切り身体を仰け反らせました。 「ふ、福沢さん。そ、それは納豆ではないですか」 「ええ。大和民族の叡智の結晶、納豆です」 「福沢さん、キミ、私との付き合いも足掛け五年になるのだから知っていると思うけれど、聖さんはその発酵食品を好まないのだよ」 「ええ、知っています。だからこそです」 「貴様! 正気か!?」 聖さまの目が艦隊モノの漫画のように光りました。 私は納豆を手に迫りました。 「ええ、正気ですよ。これも瞳子の純潔を守るためです」 「純潔を狙うのはハンターとしての性なのだ……哀しいことだがね、狼は羊を見ると食べずにいられないのだよ、福沢君。ここは退いてくれ」 「いえ、瞳子の純潔は渡しません。瞳子の純潔は姉である私だけのものです。その為になら悪魔にでも大豆にでも魂を売り払います!」 「純潔純潔言わないでください! ここを何処だと思っているんですか!」 顔を真っ赤にした瞳子が叫びました。 そう、ここはお昼時の学食でした。「純潔純潔」叫んでいた私たちは、すごい注目です。 しかし私たちは怯みません。何故なら山百合会の薔薇さま経験で、注目には不感症になっていたからです。 「聖さま大人しく『あーん』を受けてください!」 「や、やめろ! ちょ、マジクサッ! 超クサいって!」 「ふふふ、これが姉の愛の香りですよ聖さま」 「お姉さま、それちょっと厭です」 溜息をは吐いた瞳子が、ひとくち分のオムの乗ったスプーンを、ぱくりと口の中に入れました。
楽しいお昼の後は、眠たい授業です。 私は日本キリスト教史というとても眠たいで有名な授業のために二号館校舎に行く途中、サークルの友達に話しかけられました。 「祐巳祐巳ー」 大学のお友達は、私をすぐに呼び捨てにしてくれます。リリアンでずっと育ってきた私にはいつもそれが少し新鮮です。 彼女は走ってきて、歩いていた私に歩調を合わせました。 「なあに?」 「ねー土曜日ヒマー? 合コンあるんだけれど祐巳も来ない? 頭数合わなくって」 私は、うーん、と頭をひねりました。 「うーん、少し考えさせて」 「祐巳ってお酒駄目だっけ?」 「お酒は大好きだよ」 「じゃあいいじゃん、タダで飲めるよ~」 それはとても魅力的でした。しかし、私はうーんとやっぱり唸りました。 「でもやっぱり考えさせて」 「えー、うーん、そっか」 彼女は少し考えるように顔を傾けました。 「祐巳って、彼氏とかいないよね?」 「うん、年齢イコール彼氏いない歴だよ」 「でも合コンとかってほぼ絶対来ないよねー」 「そうだっけ?」 「そうだよ」 彼女は薄くマスカラのついたまつげを瞬かせて、私の顔を見ます。 「彼氏とかつくらないの? 女子大だったら、合コンでもないと出会いないよ?」 「うーん」 私は考えてみます。しかし、上手くイメージがまとまりません。 「やっぱり、考えさせて」 友達は不思議な顔をします。でも福沢祐巳にとっては彼女こそが不思議でした。
彼氏、というものについて、福沢祐巳はあんまり知りません。当然です。誰ともお付き合いしたことなんかないのですから。 興味が無いかと聞かれたら、首をひねるしかありません。 無くは無いです。 無くは無いんですが、その『彼氏』と言うものを自分の生活の中に当てはめようとすると、どうしてかイメージが霧散していくのです。 私はキリスト教史の授業の後、同じ授業を受けていた同級生であり親友の藤堂志摩子さんに聞いてみることにしました。 「志摩子さん、彼氏って欲しい?」 そう言うと、彼女は仰天したような表情をしました。私は親友なので知っていますが、彼女も年齢イコール恋人いない歴なのです。 しかし彼女はそれはとびきり美人なので、大学から一緒になった人たちは、みんな揃って志摩子さんには彼氏がいるに違いないと思い込んでいます。 「だって合コンに誘ったら必ず断られたし」と志摩子さんと大学一年生の時同じクラスだった子たちが言います。 あんなにきっぱり断るんだから、彼氏がいるに違いないと。 それは確かにそうなのですが、それは半分誤解なのです。 志摩子さんはH市の少し奥まったところに住んでいます。リリアンからバスでM駅、電車でM駅からH駅、H駅からバスで、バス停からさらに歩きという通学路です。バスが二本入ると、通学はなかなか大変です。 そしてバスの最終便は終電よりずっと早いので、志摩子さんはどこへ行っても早く出なければいけません。志摩子さんは大変良い子なので朝帰りなんていう発想はゼロです。ついでに言うなら大学一年生というとまだ未成年なので、良い子の志摩子さんはお酒が出る席には出席したがりません。 さらに言うと、志摩子さんの家は山の中にあるので、暗くなるととても怖いらしく、用が無ければすぐ家に帰ります。 大体このような理由で志摩子さんは合コンを断っていました。今では志摩子さんを合コンに誘おうとする人はいません。 そんな志摩子さんは「大学生としてそれどうなの?」と由乃さんにたまに言われたりしています。確かにそうなのですが、遊びほうけるのは志摩子さんに似合わないと思うので、私はそのままでいいんじゃないかなと思っています。志摩子さんは志摩子さんのペースで生きて欲しいと私は思っています。 「彼氏?」 志摩子さんは心なしか顔を赤くしながら言います。 私はこっくりと頷きました。 「彼氏……」 志摩子さんは難しい顔をして考え込んでしまいました。 顔がどんどん横に傾いていきます。私も思わず一緒に顔を傾けてしまいました。 考えに考えて。志摩子さんはぽつりと答えてくれました。 「………………あんまり」 考えに考えたものの、よくわからなかったらしく、彼女は自分でも要領を得ないような顔をしていました。 「うん、私もなんだー」 私がそういうと、志摩子さんは傾いていた顔を元に戻しました。 「イメージがわかないのよ」 「うん、私も。この歳でヘンかなー?」 「どうなのかしら」 志摩子さんはまた考えるような仕草をしました。 「でも、そう…なんていうのかしら。彼氏、というのじゃなくても、心を通わせる特別な相手がいる、っていうのは素敵なことだと思うわ」 「うん、それはそうだね」 「………」 私たちは同時に考え込みました。 そして私はぽつりと呟きます。 「……それ、姉妹で十分、補えている気がするんだよね」 「……私もそう思うわ」 私たちは揃って、うーんと、唸って、それからアハハ、と笑いました。
放課後はサークルですが、今日は活動日ではありません。 最後の授業が終わった時、私は少し考えて、それから「よし、まっすぐ帰ろう」と決心しました。 キャンパスは秋の気配が漂い始めています。 並木道には赤や黄色の葉が舞い降ります。それを見ながら今日のお昼に食べたオムライスを思い出しました。正確にはそれは妹のお昼なのですが、あの後結局何回も「ひとくち」を貰ったので、福沢祐巳の記憶の中では『今日のお昼はオムライスだった』というふうにセーブされています。 かさかさと乾いた音を立てる木々を眺めながら歩いていると、後ろから声をかけられました。 「祐巳」 その落ち着いた声。福沢祐巳レーダーがビンビン反応するその美声。 私は振り返りました。 「お姉さま!」 そこにはリリアン女子大学三年生の小笠原祥子さまがいらっしゃいました。 お姉さまは優雅な足取りで私の隣に立つと、 「今、帰りなの?」 とその綺麗な声でおっしゃいました。 「そうです、お姉さまもですか?」 「ええ、そうよ」 それだけで、私たちの足並みは揃います。一緒に帰りましょうなんて言わなくてもいいのです。 お姉さまはいつも私の隣を嬉しそうに歩きます。私はそれがいつもそれが幸せで仕方がありません。あまりの幸せぶりにぷるぷると震えていると、お姉さまは不思議そうに私を見て、タイを直す代わりに私の襟を正してくださいました。 だってそうじゃありませんか。 自分の大好きな人が、自分の隣で嬉しそうにしてくれること。 これ以上に幸せなことは無いです。 その幸せに私は意味も無く笑ってしまうのですが、それをお姉さまに叱られることすら私には幸せで。 祥子さまの隣にいること。 一緒に歩けること。 祥子さまの卒業で一旦は途切れたものの、私の進学により再びそれは可能になりました。 大学が四年制でよかった、と思わずにいられません。 そして、私はふと先ほどの問いが胸をよぎりました。 祥子さまは、彼氏が欲しいですか? 勿論そんなの考えただけで胸が悪くなります。胸が悪くなりますが、私たちはもう二十歳と二十一歳なのです。結婚はまだ遠くても、お付き合いくらいならしても不思議ではないのです。 祥子さまは男性嫌いであられるので、合コンなんて勿論行きません。しかし最近は柏木さんとのことも整理がついた模様です。 どうなんだろう。 私は思い切って聞いてみることにしました。 「祥子さま」 「なぁに?祐巳」 祥子さまがこちらを向くと、その黒い髪がそれに合わせて揺れます。きらきらと秋の光を受けて。 「祥子さまは、彼氏が欲しいと思いますか?」 昔だったらきっとすごく下世話な質問になってしまっただろうと思いました。 しかし私たちはもうそんな歳でもなく、むしろ真面目に考えなければならないお年頃であるのです。 私のその質問は志摩子さんのときと同じに微笑ましく、そして少しだけ寂しく響きました。 それにほっとしつつ、それから少しだけ胸を痛めて、私は祥子さまの答えを待ちました。 祥子さまは一瞬眉を顰めましたが、すぐに志摩子さんと同じように顔を傾けて考えてくださいました。 考えに考えて。 「……そうね」 祥子さまは微笑みました。 「イメージが、わかないわ」 「私もです」 秋の風が、ぴゅう、と私と祥子さまの髪を揺らします。 その風が止むのを待ってから、私は歯を見せて「イヒッ」と笑いました。 「駄目ですね、私たち」 そう言うと、祥子さまは声を立てて笑いました。 なので、私も一緒に笑いました。
秋の、空の高い日でした。
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